嘘つき同士の睦みあい


   044:あなたはやさしく残酷で、いつだって本当のことを言ってはくれない

 潜り戸が開いている。それはつまり留守中の来訪を暗に認めている証だ。卜部は遠慮なく潜り戸を抜ける。広い庭だ。だが庭園と言うほどでもなくただちょっとばかり芝の面積があるだけだ。黒松や金雀枝くらいしか卜部に区別はつかない。喬木と灌木が密に茂り蔦が這い、ちょっとした目隠しになっている。飛び石を伝って玄関へ向かいしな、沓脱ぎにきちんと揃えたつっかけがあるのを横目で見る。風雨にさらされて白茶けて傷んでいるが手入れはされているらしく、壊れているようには見えない。合い鍵の隠し場所を卜部はこの家の主から聞いている。いつでも来たかったら来なさいという歓待の意のほかにもしもの時の後始末を押し付けられている。もっとも合鍵を預けているのは卜部も同じだから五分五分である。藤堂の場合鍵を持ち歩かないだけだ。身を置く所属上、拘束や取り調べを受ける場合も多く、その時に鍵をもっていたら不用心だというのが彼の論理だ。特に盗まれて困るものもないがな、とも言う。
 そもそも占領下におかれつつあるこの国土で安全の確保など無理な話でもある。徹底抗戦を謳うものもいるが卜部の見解としてはこの国は負ける。そうなれば後に待つのは底辺暮らしだ。元来路地裏に出入りし、住人でもある卜部は屑かごを覗き込むことに抵抗はない。ありがちな下半身の病気ももらわず何とか無事にやれている。卜部は合鍵で玄関を開けると勝手に上がり込む。さて風呂でも立てておくべきかと逡巡しながらどうせなンもしねェんだあの人ァ、と愚痴る。それでも軽食だけは拵える。白子を混ぜた粥をつくる。精のつくもんでも食わせとかねェとなと独りごちる。くつくつと煮詰まる音を聞きながら台所の椅子を引っ張り出して座る。隠しにしまってあった文庫本を出して読む。そう言えばこの本はこの家の主からの下がり物だ。
「トウドウキョウシロウかぁ」
この広い家屋の主の名である。両親は早世したらしく一人になってだいぶ経つとだけ聞いている。時折朝比奈が上がりこむこともある。はち合わせた際は猫の喧嘩のざまになったが藤堂は喧嘩両成敗で事を見事におさめた。後から聞いた話では藤堂は子供相手に道場も開いていて、なるほど喧嘩の仲裁が上手いわけだと納得した。
 その藤堂の現状の有様を知っているのは卜部だけだ。朝比奈あたりは勘づいているかもしれない。仙波と千葉は知らないだろう。知っていたらあんな何でもないような態度は取らない。二人とも行動を起こすだろう。朝比奈の方がまだそう意味で処置を知っている。事を正すことが正しいとは限らないのを知っている。必要とあれば隠しておくだけの悪知恵もある。
「…――うらべ、だった…のか…」
掠れた低音に卜部が顔を上げる。粥はすっかり煮詰まっていて卜部は弱火だったそれをがちんと消火した。黒い外套を羽織ったままの藤堂が茫然と立っている。乱暴に帯でくくられた道着を携えているところを見ると道場帰りにも見える。卜部は文庫本から顔を上げたまま立ち上がりもせずに言う。
「風呂ォ入ります? 今からだと少し時間がかかりますけどね」
くす、と卜部の口角が吊りあがる。
「朝比奈の方がよかったっすか?」
 どさ、と藤堂の手荷物が落ちる。がくりと膝が折れてその場へ藤堂が座りこむ。どしんと言う音を珍しく立てる無様さだ。それはつまり藤堂が今まで何をしていたかの証明。卜部は本を卓上に伏せてから頬杖をついてにやりと笑んだ。
「脱げよ。風呂場で脱がしてやってもいいっすけどォ? どうせ風呂に入れるまで時間がかかンだし」
「理由を訊かんのだな」
「ふゥン、言い訳でも用意してたのかよ」
卜部は組んでいた脚を解いて立ち上がる。ひょろりとした体躯でちょっとずつ間の違う足運びで風呂場へ向かう。熱湯と冷水の蛇口を浴槽へ向けて取っ手をひねる。塩梅を測りながらしばらく湯が溜まるのを待つ。
 「じゃあ訊いてやりましょうかね。あんたこんな時間まで何してたンだ。道場ァとっくに引けてる時間でしょう」
「…聞いてやるという割に優しさがないな。閣下と少し…――話、を…していた」
藤堂が閣下と言う敬称で呼ぶのは枢木ゲンブだ。卜部の想像はこれで裏付けられたことになる。つまり藤堂はゲンブと寝ていたということだ。座りこんだまま立ち上がらない醜態もそれを裏付ける。平素の藤堂は凛として一本筋が通ったように立ち居振る舞いが洗練されている。ざあざあざあと湯と水がたまっていく音に耳を傾ける。砂丘のくぼみに嵌まって少しずつ虚へ埋まっていくような、砂の流れる音に似ていると思う。砂も水も厄介なことに変わりはない。海遊びを経験している身として実感する。しかも砂丘の砂と言うのはさらさらと指通りがよくすくいあげることもままならない。下手をすれば足場が崩れて蟻地獄よろしく埋まってしまいかねない。
 卜部は立ち上がって座り込んだ藤堂を裸に剥いた。外套を脱がせシャツを引きちぎるように前を開かせズボンを下着ごと奪う。外套の中は散々な有様だ。白いシャツには紅い染みがあり引き裂かれたような跡まである。特別目を引くのは藤堂の頬を縦に走る裂傷だ。深いらしく紅い線が太く流れて尖った頤を濡らしていた。同時に藤堂の体からは明確に男の精の匂いがする。そのまま風呂場に叩きこむ。
「俺ァ相手が誰と寝ようが構わねェが寝たそのままの足で寝床に来るのだけは嫌ェなンだよ。体洗ってから寝床にこい」
言いつけるように言ってから卜部は藤堂の私室に上がり込むと寝床を準備する。考えこんでから客間にも寝床を用意した。それからどちらに行くべきか逡巡した。結論として客間に居座った。
 何も言わねェなァあんただ、と卜部は毒づいた。藤堂は己が受けた痛撃を誰にも言わずに堪えてしまう。食事さえ摂れない状態になっていたことに周りの面々が気づいたのは低血糖を起こして藤堂が倒れてからであることもざらだ。予兆を全て殺してしまう。腹が鳴るとか、飯が食いたそうな顔だとか、そう言ったものを藤堂は一切感じさせない。以前それを指摘したらお前にだけは言われたくないが、と真顔で返されてから卜部は一切を放り出した。卜部もどちらかと言えば堪える性質である。食うものがなくなれば虫でも食う。人からもらおうという気がない。いや蝉は美味い、と卜部は茫洋と思った。この嗜好を見た藤堂が食事はきちんと摂りなさいと卜部に説教をかました。必然的に互いを監視する意味も含めて食事時に上がり込み、二人で膳を囲む。二人とも独り身になって長いから自炊の腕前はそれなりだ。
 藤堂の頬の裂傷と体にある痣の数を数えてしまったことに卜部は倦んだ。ゲンブは藤堂と甘い関係を築くつもりなど毛頭ない。はけ口である。誰かを傷つけてすっきりしたいだけである。傷つけられる方はたまったものではないが、この国の首相ともなればそんな無茶さえ通ってしまう。今のところは藤堂が驚異的な堪えを見せて被害の広がりは防がれている。誰も気づいてないだけだ。ごろりと横になって隠しを探ったところで舌打ちした。文庫本を台所へ置いたままだ。取りに行くのも億劫で卜部はそのまま電灯を幌で包んだ明かりを眺める。革張りの柔らかさと鋭角的なラインと焦げ茶に塗られた木目の綺麗な四隅に目を奪われる。取り外しが楽なように底が抜けている幌であり円形の電球が見えた。この家は藤堂が二親からそっくりそのまま受け継いだと聞く。藤堂自身は次世代に継ぐ気はないらしい。探そうと思えば相手はいるだろうが藤堂自身が、自分の系譜を残して後世に繋げるという意思がないのだ。藤堂の家は私で終わりだ、それでいいんだよ、と言う。だからこそ軍属などと言う世界にいるのかもしれない。
 「馬鹿らしい」
卜部とて同じ軍属だが意気込みはまるで違う。卜部は食うに困ったから軍に入った。路地裏でうろつく限界を感じたから下士官募集に応募してみた。驚いたことにすんなり通った。それから卜部は着実に戦績を積み上げて藤堂直属の四聖剣と言う別称までいただくところにいる。扱いの難しい戦闘機を与えられもしたし、実戦でもそれなりの戦績を上げている。きっかけは藤堂だった。君の戦闘成績やシュミレーション結果を見せてもらった。私の直属へ就いてほしい。鶴の一声である。そこから卜部と藤堂の関係は始まった。同時に互いに家を訪ったり寝床を共有したりするのにも慣れてきた。
「あぁあくそったれ!」
卜部は蹴りたてる勢いで風呂場へ直行すると体を洗っていた藤堂に後ろから抱きついた。石鹸の泡でぬるりと滑る。服が濡れるとかそういったことにまで意識が回らない。
「巧雪? どうした、体を綺麗にしたら行くから客間で待って…」
「あんたァその顔の傷どうした」
低い声に藤堂の体がピクリと震える。それでも堪えるような間をおいて、たっぷりと息を吐いてから藤堂は何でもないように言った。
「閣下の振るったベルトの金具が当たっただけだ」
「ずいぶん刺激的な関係じゃねェかよ」
目線を下げてから卜部は気づいた。とろとろと排水溝へ流れていく泡がときどき紅いのだ。傷口に石鹸は沁みるだろうと思うのに藤堂は何でもない顔をして体を洗っている。
「痛くねェのか」
「私だって痛みくらい感じるが。だがお前とするのに…ほかの男の跡を消したいと思うのは甘えかな」
藤堂の露骨な言葉にも卜部は乾いた笑いを発した。浴槽に張られた湯でたっぷりとした湿気で潤んでいるというのに卜部の声や喉は乾いていく。噎せるような水蒸気や湯気、石鹸の匂い。清潔で穢してやりたくなる。
 「巧雪」
卜部を下の名で呼ぶのは了承の証だ。互いの合図として呼び名を変える。二人ともそこから先は立場も階級も関係ない。
「鏡志朗、抱かせろ」
振り向いたところで頤を捕らえて唇を乗せた。湯をかぶったらしく潤みきって濡れた藤堂の唇は卜部の乾燥を感じ取ったかのようにひたりと吸いつき豊潤な水分が伝わってくる。ふっくらとしたそれに吸いつきながら卜部は歯を立てた。がりっと齧る音と痛みに藤堂は悲鳴さえ上げない。突き飛ばしもしない。ただぽつぽつと深紅の鮮血が頤を新たに伝っただけだった。卜部の口の中に苦い味が広がる。
 息を吸おうと離れた刹那、藤堂の唇が動いた。

「うそつき」

「私のことなど嫌いなのだろう。抱きたくなどないのだろう」
卜部は藤堂の首筋に歯を立てた。手が減のない噛み方に紅い飛沫が飛び藤堂の精悍な顔が歪んだ。浴場の鏡越しにそれを見た卜部がさらに深く歯を食いこませる。紅い糸を引いて離れた卜部の舌先とつながる藤堂の首筋にはくっきりとした歯形が残っていた。
「食いちぎってやりてェ」
「そうしたら私は死ねるかな?」
裸身の藤堂は艶めかしい。尖った腰骨をたどれるし存外に薄い背は脊椎の突起を数えられる。藤堂の強靭な戦闘力をこの体が生み出していると思うだけで高揚した。くるりと振り向く藤堂の双眸が潤んでいる。先程噛みついた痛みを堪えているのかゆらゆらと湖面のように灰蒼の双眸は揺らいだ。それでも小波で抑えてしまう揺らぎに藤堂の精神力を見る。それは情緒とは無関係だ。作戦における藤堂は情緒を片鱗も見せない。
 「私を毀せ、巧雪」
藤堂は泡だらけの体のまま脚を開いた。卜部は薄く笑んだまま藤堂に口づける。噛みつきもしない甘くて優しい残酷なキス。

「あんたの体は甘いのに。あんたは優しいのに。…――だから残酷なンだ、あンたァ」
「同じ台詞を返してやる、巧雪。お前は私に優しくて甘やかして、それ以上に残酷だよ」

「そして、うそつきだよ」

二人して同じ台詞を吐いた。ふっと吹きだして二人でけたたましく笑う。泡まみれて滑る藤堂の肌を撫でながら卜部が言う。
「うそつきはあんただろ。本当のことなんざァいいやしねェ」
「それこそこちらの台詞だ。お前は本当の気持ちを堪えていつも何でもない顔をする」
ふっと目元を紅く染めた艶めかしい藤堂が唇を動かした。

抱いてくれ

卜部の手は藤堂の膝を割り、藤堂は脚と腕を絡めて卜部の背に指を這わせた。
「細い体だ」
がり、と爪を立てられる。衣服の上からでも痛いそれは奇妙な感覚を呼び起こす。卜部の着衣などもう雫の滴るほどに濡れそぼっている。もう一枚皮膚を纏っているようで、その皮膚をそぎ落とされたかのようだ。

「これって好きって、言うのかな」

答えはなかった。
それでいいのだと思った。


《了》

誤字脱字チェックしろよ! したけどあるんだよ!(やけ)
なんか星座でこんな感じの作品創るよ占い当たってる!!          2012年1月14日UP

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